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2025年10月1日、放送大学に入学しました。
そこそこの大人になった今、まさか大学に入学することになるとは思っていませんでした。
入学の節目に、ここに至るまでの経緯と、今の私の想いを残しておきます。
奨学金と就職優先だった学生時代
自分で返済する前提だった奨学金
現役時代の進路からお話します。
高校卒業後すぐ四年制大学に進学し、無事に学士を取得しました。
ただ、実家は「女が大学に行ってどうするんだ」という考え。
親を説得し、私は奨学金を借りて大学に進学しました。
数百万円を背負うからこそ選んだ「確実に返せる進路」
本当はその頃から哲学や歴史が好きでした。
勉強するのも結構好きでした。
ただただ好きな学部を選べる環境であれば、やりたいことを追いかけられる環境があれば、私は文学部あたりに進学していたでしょう。
でも、そうじゃなかった。
なので、実家を頼らず、さっさと独り立ちをするために、私は「手に職をつける」道を選ぶことに。
文学部よりは、医療福祉の国家資格を手にいれる方がきっと将来安泰だし、奨学金を返し切るぐらいの稼ぎは手に入るはず、と当時の私は考えました。
社会人10年でやっと得られた安定
奨学金を完済できた安心感
無事にそこそこの病院に就職し、ボーナスはほとんど奨学金の繰上げ返済に回しました。
高校三年生で「一生をかけて返す覚悟」で借りた数百万円は、数年で完済。
大人ってすげー。
キャリアと知識を積み重ねてきたこと
医療の世界では、新人時代にそこそこ大きくて忙しい病院で働き、沢山の幅広い症例を経験して修行する、という暗黙のルールがあります。(職種や地域によって違うかも)
数年程度の修行期間が終わると、その後は比較的自由な働き方が出来ます。
私の周りにも、自分の行きたい分野に転職していく人、家庭の都合などで働き方を変える人、一旦ワーホリで海外に飛んで戻ってきた人、いろんな知り合いがいますが、みんな仕事には困っていないですね。
奨学金を返し終わるころには、私も無事に修行終了。
転職を経験し「どこでも何とかなる」という自信
やりたい分野はあったので、ぼちぼち転職するかな〜、とふわっと思っていたころ、2つの大きな出来事がありました。
一つは、「コロナ禍」です。
病院勤務ですから、しかもまぁまぁ大きな、いわゆる最前線に近いところにいた病院でしたから、まぁ〜〜〜〜〜〜忙しかった!!!!
独身、一人暮らし、そこそこ若くて健康だった当時の私。
「家族が濃厚接触」「子どもの保育園が閉所」などの影響が皆無で、それはもう周りの人の分まで働きました。
正直、当時の記憶がないですね!!!!
多少の資産を築き、次を考える余裕が生まれた
家と仕事を往復し、どこにも行かずの生活。
あと、たまたまコロナの少し前から、友人の教えで(旧)NISAをはじめていて、コロナショックを経てすごいことに。
コロナ後2年ぐらい経ったとき、気づいたら多少の資産ができていました。
お金があるとね、視野が広がりますね。
同僚の死が教えてくれたこと
突然の別れで強く意識した「人はいつか必ず死ぬ」
もう一つの大きな出来事です。
同僚が唐突な事故で亡くなりました。
私はその人が同い年であることすら知らなかったんですが、報道の( )の年齢表記で知りました。
昨日まで普通に仕事をしていた同僚が、翌日にはもういない。しかも同い年。
「人はいつか必ず死ぬ」という当たり前を、初めて実感しました。
やりたいことを後回しにせず実行しようと思った
私も、明日、死ぬかも知れないんだなぁ。
そんなことを初めて感じたのがその時。
多趣味で好奇心の塊なので、「老後の楽しみ」カテゴリに入れている沢山の「やりたいこと」があります。
老後、来ないかもしれない。
じゃあ、今やるしかないな。
偶然知った放送大学のシステム
「老後の趣味」だと思っていた放送大学
高校のときに、本当はやりたかった哲学と歴史。
ちょくちょく本は読んでいました。
でも、興味があって読みやすそうな本をバラバラに読むだけで、体系的な知識として身についていないのは感じていました。
老後になったら通信大学でも行こうかなぁ、そんなことはうっすら思っていたのですが、何かの拍子でたまたた放送大学のシステムを知りました。
数万円から始められる負担感のなさに驚いた
1回目の大学の時の学びから、「学費は半年ごとに◯十万円払う」というものだと固定概念を持っていて、疑いもしませんでした。
放送大学は違います。
その半年で自分が勉強する教科の分だけのお支払い。
具体的には1科目12,000円。
しかも1科目だけの履修でOKです。
数十万払うと思っていた私、驚きまくり。
今の生活にも無理なく取り入れられる仕組み
1科目履修したら、その後1年半は休むことも可能です。
「今期は忙しいから休もう」もOK。
社会人にとってはありがたい仕組みです。
これならできる!
これなら今の私でも、大学生やれる気がする!
このシステムを知った時すぐにスケジュール帳に出願日を書き込んで、出願日が来たら即申し込んだのを覚えています。
まとめ|社会人の学び直しに放送大学を選んで
そんなわけで、学士を取りに行くでもないし、資格を取りに行くでもない、ただただ勉強するためだけに大学に入学した経験談でした。
多分、人生でもうこんな大学入学に対して熱い思いを持つことがないと思うので、記念に書き残しておきます。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃるか分かりませんが、きっともしいるとしたら、放送大学を検討していらっしゃる方なのではないかと思います。
まだ入学したところなのでどうなるかは分かりませんが、少なくとも今はとても晴れ晴れとした気持ちです。
自分のやりたいことをやれるところまで、自分の人生を作ってくることができた達成感、みたいな。
入学おめでとう、私。
実り多き大学生活じゃなくていいです。
楽しい学びの時間が過ごせますように。